メロンのまったりブログ

60歳、繊細さん。これからは、心穏やかに暮らしたいなぁ~。

田舎で子育てをするということ・・・その2

こんにちは!メロンです!

ご覧いただき、ありがとうございます!

 

今回は、田舎の子育て! 

小学校の運動会のお話です。

 

行事といえば、なんといっても運動会ですよね!!

 

私たちが住んでいた町は、長男が幼稚園に通い始めた頃は、○○郡○○町でした。

もちろん、幼稚園も町立幼稚園でした。

その頃の幼稚園や小学校の運動会には本当にびっくりしましたね。

 

まず、幼稚園や小学校に関係ない人も運動会に来ますし、朝からビールを呑みながら宴会が開かれてました。

なんと言っても、地区別競争が一番盛り上がり、幼稚園の三輪車競争でも大漁旗が何本も並走して、地区の威信をかけての白熱したレースが展開されました!

うちの息子は、三輪車競争で一番になり、地区の英雄になりましたww 

 

何年かして隣の市と合併し、ここも○○市立幼稚園、○○市立小学校となり、少しずつ運動会も様変わりしました。

 

まぁ当然と言えば当然ですが、宴会や飲酒もなくなり、地区対抗の種目もリレーのみとなりました。 

なんだかちょぴり寂しい気持ちになりましたね。

 

生徒の方は変わりありません。

幼稚園も小学校も人数が少ないので、とにかく忙しい!!

 

出る競技も多く、少なくとも午前中3回、午後3回は出場があります。

小学校の3年生ともなれば、出場しない時も、ほぼ全員がいろいろな委員の仕事をしています。

たとえば、放送や救護、用具の準備、競技者の整理、1~2年のお世話などなど・・・

 

つまり、座って競技を見ている子は、1年生と2年生だけ!!

全員がプログラムを見ながら、走り回っている状態です。

 

先生と生徒、保護者が一致団結しないと、運動会は成し遂げられない・・・ということで、全員で運営するんですよね。

 

これは子供にとって素晴らしい教育だと思いました。

後に、息子が高校生の頃、先生に言われたことがあります。

「○○小学校出身の生徒は、自ら進んで・・・というわけではないが、役員に抜擢されたら、動じることなく何でもこなせるんですよ。

普段おとなしい子でも、全生徒の前に立って、体操や指揮や宣誓をさせても、臆することなく普通にできるんですよ! 凄いですね!!」

 

そういえば、知らぬ間に息子が朝礼台に立って、準備体操やら競技の説明をしていてビックリ!!・・・聞いてないよ~~ってことが度々ありました。

 

つまり、みんな慣れてるんですよね!

幼稚園の頃から、ず~っとやってるんですものねww

 

話しは戻りますが、では運動会の時の保護者は・・・というと。

ご想像どおり、むちゃくちゃ忙しいです!!

 

まず、出場競技が生徒並みに多い!!

我が子の人数分の親子競技があり、保護者の競技、PTA役員の競技、来賓と祖父祖母の競技、地区対抗の競技などなど・・・

 

なにせ人手不足なので、関係ない競技でも駆り出されるし、それでも足りない時は、見に来ている中学や高校の卒業生や、その友達までも参加して、盛大な盛り上がりをみせます!

 

役員になった保護者は更に忙しく、生徒の役員と同じく走りまわっています!

合間には、我が子の写真やビデオも撮らなきゃいけないし・・・

 

つまり、保護者も座って観戦している人は少なくて、おじいちゃんやおばあちゃん、小さな弟や妹・・・てことですね。

 

良いところは、場所取りがいらないこと!!

早朝から地区の役員が、地区ごとに2張りほどテントを張りますが、地区の保護者は十分その中に納まります。

なので、何時に行っても、余裕で座れるというわけですね。

 

もっとも役員になってたら、座るのは、お弁当を食べる時・・・ぐらいなものですけどねww

 

それに終わる時間も早いですね。

人数が少ないので、ひとつの競技が、あっという間に終わります。

ちょっと油断してたら、我が子の競技を見逃して、他のお母さんたちから教えてもらったり・・・てことになりかねませんww

 

 

大変なこともありましたが、私はこの学校の運動会が大好きでした。

なにより、子供にとっても親にとっても、いい学びの場になったと思います。

 

 

お住いの地域の学校のお話しや、運動会の思い出などあったら、コメントで教えてくださいね。

 

では、今日はこのへんで。

《懐かしい!!私が通った小学校です!!》
《50年たった今も、変わらないな~~!!》

 

田舎で子育てをするということ・・・その1

《私の故郷!!大好きな熊本城です!》


こんにちは!メロンです!!

ご覧いただき、ありがとうございます!

 

私は20年以上前に、熊本市内から、今の町に引っ越して来ました。

熊本も立派な田舎ですが、ここよりは随分と便利のいいところでした。

 

上の息子がちょうど1歳になるころ、旦那様の転勤でこの町に来たので、2人の息子はここが故郷ということになります。

 

結論から言うと、2人の子どもがこの町で大人になって、良かったと思っています。

もちろん、一長一短はありますが・・・

 

現在はほんのちょっと便利なところに住んでいますが、子育てしたところは筋金入りの田舎で、小学校は全校生徒100人足らずで、小学校の敷地内に小さな町立幼稚園が建っていました。

 

つまり子供たちは、幼稚園から中学校まで、クラス替えも無く、エスカレーター式に育っていくわけです。

 

私は・・・というと、昭和36年に熊本市の九品寺で産まれ、何度か引っ越しをしましたが、託麻原小学校と帯山中学校の校区で育ちました。

 

あの頃は、高度成長期とベビーブームの真っただ中で、健軍を中心に東方面に宅地が広がり、人口も急激に増えていました。

そのため、学校の生徒数はどんどん増えて、小学校も中学校も教室が足りず、1クラス55人なんていうのもザラでした。

また、プレハブの校舎が3つも4つも建っていたものです。

 

私が通った託麻原小学校は、全校生徒1500人あまり、帯山中学校に至っては、1学年17クラスで全校生徒は2100人を超え、全国で第2位というマンモス校でした。

生徒数が増えるので、毎年クラス替えがありますが、17クラスあると知っている人はクラスに2~3人・・・という、毎年転校しているような状態でした。

また、休み時間になると廊下は大混雑で、端のクラスの友達に会うため、満員電車のような中を頑張って行っても、時間内に行きつけないこともしばしばでした。

 

そんな小学校や中学校で過ごした私にとって、この田舎の学校は強烈なカルチャーショックでした。

 

小学校の校長先生は、全校生徒だけでなく全保護者の顔と名前を知っていて、夏祭りなどで見かけると、「あぁ!○○君のお母さん!こんばんは!」などと挨拶してくれます。

もちろん、子どもが一緒にいない時もです。

そして「○○君、この前~~~で頑張ってましたね!すごいですね!」などと子どもの様子を話してくれたりしました。

もう、私はびっくりして目がテンになりましたが、このあたりでは常識のようでした。

私は小学校の頃、校長先生の顔も名前も知りませんでしたけどね・・・ww

 

それから、私の頃は1クラスが42人~55人もいたのですが、ここの小学校は1クラスが15人~20人ぐらいです。

もちろん1クラスしかありません。

 

つまり担任の先生が見るのは15人~20人、それに補助の先生が付いたりしますので、そりゃあ目も手も届きますよね。

加えて、しょっちゅう校長先生や教頭先生、主任の先生やらがクラスの中を見て回っていますし・・・とにかく手厚いんでしす。

それを見ていると、親としては、とても安心できましたね~。

 

今日はざっくりとした話になりましたが、次は行事などのエピソードも交えて、お話ししたいと思います。

 

子供の頃の思い出や、子育て真っ最中の方!コメント待ってます!

 

では、今日はこのへんで。

 

失業手当をもらおう! 繊細さんの私が選んだ「就職活動実績」は?

こんにちは!メロンです!

いつもご覧いただき、ありがとうございます!

 

今日は、ハローワーク体験 第3弾!!

繊細さんの私が選んだ「就職活動実績」です。

 

まずは、めでたく「就職活動実績」のミッションをクリアして、初めての認定日に行きました。

私は初めてハローワークに行ったのが木曜日だったので、認定日は4週間後の木曜日です。

 

【失業認定申告書】を提出し、【雇用保険受給資格者証】を貰い、待機期間の7日を引いた21日分が支給されるとの説明がありました。

初めてのハローワークの手続きには時間がかかりますが、認定日は待ち時間のみで速攻で終わります。

 

本当はハローワークに来たついでに、何か相談をして帰るのが合理的なのですが・・・

第2弾でもお話ししたとおり、ハローワーク職業訓練の相談をした時、相談員の対応が心の傷になってしまい、もう二度と相談に行けなくなってしまいました。

まったく情けない話です。

 

もちろん、ハローワークのほとんどの相談員の方は、親切で丁寧に対応してくださるという事は知っています。

しかし相談員は選べませんから、そんなロシアンルーレットみたいなことは、とてもできませんでした。

なので私は、ハローワークでの相談を除外して「求職活動実績」をクリアする決心をしたのです。

希望していた職業訓練を受講するには、ハローワークの相談は必須ですが・・・

冷静に考えてみたら、職業訓練は金銭的にはお得ですが、通学の時間も長く、何より60歳になって、若い人達といっしょに何ヵ月も勉強をすることを考えると、私には向いていないような気がしました。

 

ふと、定年退職をきめた時のことを思い出しました。

これまでの「頑張れば、なんとかやれるかもしれない」をやめて・・・

これからは「頑張りすぎないように」「心穏やかに過ごそう」と退職を決めたのでした。

あぁ~また性懲りもなく、同じ間違いをおかすところでした。

 

そこでまず私が選んだのは、セミナーに参加するという手です。

 

シニアの転職はかなり厳しいものがあり、ましてやシニアで事務の仕事に就くのは至難の業です。

そうなると希望の職種を広げる覚悟も必要です。

シニアで多い求人となると<接客><清掃><介護>という選択になります。

(特に私が住んでいる田舎では、これ以外は無いといっていいでしょう)

掃除の苦手な私は、<清掃>は除外したいところです。

人の体に触ることに抵抗があるので<介護>も向きません。 体力的にも・・・

そこで残った<接客>のセミナーを受けることにしました。

《私が受けたセミナーです》

私の住んでいる地域では、県とハローワークが運営している【中高年職業支援センター】というものがあり、個別相談やセミナーなどをやってくれています。

 

8年前に転職した時も、個別相談やセミナーに参加して、大変勉強になったので、まずは、【中高年職業支援センター】の<接客サービスセミナー>に参加しました。

感想としては・・・「私でもできる!!」という気にはなれませんでしたが、「やれる接客業もあるかもしれない・・」程度の自信は出てきました。

なんでも覗いてみたら、新たな発見があるかもしれない・・・という事ですね。

 

そのセミナーで個別相談を勧められ、8年前にお世話になった相談員の方が、まだ現役でいらっしゃる事を知り、心から嬉しくなりました。

 

それからの私は、その昔馴染みの相談員さん面談するだけで「就職活動実績」をクリアできるようになったのです。

8年前もそうでしたが、今回も週に1度か2週間に1度、1時間ほど面談していただきました。

そして、就職に関する時期や職種などの希望を正直に話し、適切なアドバイスをもらいました。

また、おすすめの講師のセミナーもいろいろ受けました。

 

繊細さんにとって、いや私にとって、この個別相談は、心が軽くなり希望が見える時間だったのです。

就職の悩みはとてもデリケートで、家族も友人も正しいアドバイスはできませんよね。

一人一人の状況や性格や様々なものが違うのですから・・・

ハローワークでも個別に相談はできますが、毎回相談員が違うので、心を開いた相談はとてもできないでしょう。

 

おかげで私は、ストレスを感じることなく毎回の「就職活動実績」をクリアし、失業手当の給付期間の180日を終えることができました。

 

その後、パートとして希望していた不動産関係の仕事に就くことができ、繊細さんならではの悩みと戦ながらですが、なんとか頑張っているところです。

 

機会があれば、その話もできたら・・・と思っています。

 

おすすめの就職活動実績などがあったら、コメントで教えてくださいね。

 

では、今日はこのへんで。

 

定年退職! ハローワーク体験! 失業手当をもらおう!!

こんにちは!メロンです!

ご覧いただき、ありがとうございます!

 

今日はハローワーク体験! 第2弾!

失業手当を貰うためのミッションのお話しです。

 

まず、初めてのハローワークで手続きをした後、全員7日間の待機期間があり、その後、定年退職などの給付制限がない場合は、翌日から給付が始まります。

(自己都合などで退職した場合は、更に2~3ヶ月の給付制限があります)

 

そして、認定日にハローワークに行って、失業手当を貰うという流れです。

(初めてのハローワークの手続きをしたら、次の認定日の日時を教えてくれます)

 

まず、認定日とは・・・

失業手当をもらう為に、4週間に1回の指定された日時にハローワークに行き、失業状態のチェックを受ける日です。

この日に行かないと、失業手当は貰えないので、とても大事な日です。

 

★★認定日に持っていく物★★

雇用保険受給資格者証】

初めての認定日に貰えます。

【失業認定申告書】

バイトや求職活動をした4週間の記録です。

毎月提出して、次の新しい用紙をもらって帰えります。

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《これが【失業認定申告書】です》
《このミッションをクリアしないと失業手当は貰えません》

★★認定日までの4週間でやるミッション★★

認定日までの4週間に「求職活動実績」というミッションを2回以上やって、【失業認定申告書】に書き、ハローワークに提出し、それが認められて、初めて失業手当が貰えるシステムなのです。

何が「求職活動実績」になるかは、細かく決められていて、それに該当しないと認められず、失業手当は貰えないわけです。

と言っても、先延ばしになるだけですが、1ヶ月の収入が0円になるわけですから、それは困りますよね〜

 

では、「求職活動実績」とは…

①求人に応募したり、面接を受ける。

ハローワークなどのセミナーを受ける。

セミナーを受けると受講証明書が貰えて、それを提出します)

ハローワークで閲覧や相談する。

(相談したら、印鑑を貰えます)

(地域によっては、閲覧だけではダメなところもあるので、確認しましょう)

職業訓練校に通う。

職業訓練校に通っていると、失業手当の期間が終わっても、卒業まで給付が延長されるので、おいしい話ですよね)

 

この中から、2つの事をやればミッションクリアとなるわけですね。

職業訓練中は他のミッションは必要なく、認定日にハローワークに行く必要もありません)

 

では私の場合は・・・

最初の求職活動は「雇用保険説明会」に行く事ですが、コロナ禍で説明会が行われず、私はYouTubeで見て終了でした。<ミッション1>

 

YouTubeで見てみると、たくさんの方が一番簡単な、お得な、「求職活動実績」の紹介されてます。

私も、もちろん熱心に見ました。

 

まず職業訓練は、勉強しながらお金がもらえて大変お得な上に、給付期間の延長も望めます。

それから、セミナー参加やハローワークでの相談もオススメとありました。

 

まず私は、職業訓練校を目指し、ハローワークに相談に行きました。<ミッション2>

私は宅建士の資格を活かして転職するのが一番の目標なので、その実務の勉強か、苦手なパソコンを勉強したかったのです。

しかし相談してみると、不動産関係のコースは失業手当を貰いながら受けられるものではなく、また資格取得の為のコースなので、資格を持ってる私は受けられないとの事でした。

そこでハローワークを出る時に、パソコン関係の職業訓練のチラシも持って帰り、後日ハローワークに行き、相談をしました。<ミッション3>

 

ハローワークにはたくさんの職員がいるので、行くたびに担当の人は違います。

これまでは、丁寧で好感の持てる方でしたが、2回目に職業訓練の相談に行った時は、最悪でした。

20代だろうと思われる女性が、担当でした。

私がパソコン関係の職業訓練のチラシを見せて「ここの受講を考えているんですが」と言うと、

『ここを受講したら、あなたが就職できる会社の求人は、今現在、何社出てるんですか?』と聞かれました。

『あなた、求人検索はやってないみたいですけど、受講後に応募できそうな求人票を何枚か持ってきて頂かないと、ご紹介はできませんよ』などなど・・・

すごく横柄な、上から目線で言われて、もう目の前が真っ白になりました。

私はもう、しどろもどろで「ネットでの検索では、何社かあるようですが」と答えると…

ため息をついた後『それでは、求人はあるとの事で、今回は特別に申込書を渡しますので、締切までに持ってきてください』

と言って書類を渡されました。

 

繊細さんの私は、帰りの車の中で、ものすごく後悔しました。

今はコロナ禍で、職業訓練校に入るのも競争率が高く、特に事務関係は狭き門だと何かで読みました。

20代でも難しいのに、60歳の私が受けたいなんて相談したから、身の程知らずと思われたんだと、泣きたくまりました。

 

しかし家に帰って色々考えているうちに、モーレツに腹が立ってきました。

たとえどんな理由があっても、あんな失礼な言い方はおかしい!

相談員として間違ってる!!  という結論に達したのです!

 

それでも意気地のない繊細さんの私は、またあんな相談員に当たったらと思うと、もう怖くてハローワークの相談には、どうしても行けなくなってしまいました。

 

まぁ、いろいろありましたが「求職活動実績」が3回で、ミッションをクリア!!

初めての認定日を迎えることができました。

 

次は、繊細さんの私が選んだ「求職活動実績」のお話しをしたいと思います。

 

私と同じような体験をした人は、ぜひコメントで教えてくださいね。

 

では、今日はこのへんで。

 

定年退職! 初めてのハローワーク体験記!!

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《初めてハローワークに行くと、これを貰えます。》

 

こんにちは!メロンです!

ご覧いただき、ありがとうございます。

 

今日は、私の『初めてのハローワーク体験記』のお話をします。

私は20代から何度か転職の経験がありますが、失業手当を貰ったことは一度もありませんでした。

なぜなら、給付制限というものが3ヶ月もあり、蓄えのない私には、初めから関係ないと思い込んでいたのです。

今回は、定年の半年前に「定年前後のお金の正解」という本を買い、損をしないように、ちょっと勉強をしました。

それを読んでみると、待機期間中に再就職しても、一時金がもらえるなど、色々お得な制度がある事が分かり、過去にだいぶ損をしたなぁ…と後悔しました。

何でも決めつけないで、調べてみることが大事ですね。

60歳になっても、学ぶことはたくさんあります。

 

失業手当を貰うには、いくつが条件がありますが、詳しく知りたい方は、ハローワークに尋ねるか、YouTubeなどで確認してください。

 

準備としては、まず退職する会社から「離職票」を貰うのですが、会社によっては申請しないと貰えないところがあるので、退職前に確認しておきましょう。

 

私の場合は申請が必要だったので、有給休暇の前に申請をしました。

離職票は退職後15日前後に郵送されるので、それまでにそれ以外の準備をしました。

 

ハローワークに行く時に必要な物★

離職票(退職した会社からもらう)

マイナンバーが確認できる書類

③本人確認書類

③証明写真2枚(3㎝×2.5㎝)

④印鑑

⑤本人名義の預金通帳またはキャッシュカード

*事前に「求人申込み書」を入力しておく。

(地域によって違うところもあるので、管轄のハローワークに確認しましょう)

 

私はまず、写真館で証明写真を撮りました。

証明写真機より割高ですが、歳を取ると写真館と機械では、出来映えが違います。

焼き増しもできるので、就職の時も便利ですね。

 

次に「求人申込み書」の下書きです。

ハローワークの受付で、「求人申込み書」を書くのですが、履歴書みたいな物で、思い出しながらその場で書くと、すごく時間がかかるんですよね。

そこで、事前にハローワークのホームページで下書きをしておくと、超スピードアップできて、速攻で受付が終わるんです。

なので、絶対に「求人申込み書」の下書きは必須です!

 

いよいよ、15日前後に離職票が届きます。

直ぐに行きたいところですが、ここで大事なのが、何曜日に行くかです。

失業手当をもらうには、毎月1度「認定日」にハローワークに行くのですが、初めて行った曜日に毎月行く事になるのです。

ハローワークも忙しい曜日があるので、待ち時間の長い月曜日などに初めて行ってしまったら、ずっと待ち時間が長くなるわけですね。

 

調べてみると、月曜日と金曜日は行く人が多く、火曜日と水曜日はセミナーなどがあるとのこと・・・

待ち時間を短縮したいなら、木曜日がいいらしく、時間は朝一がBestとの事でした。

また、第2週は離職票が届いて行く人が多いので、そこは我慢して第3週目に行くのがおすすめです。

 

そこで私は、第3木曜日の朝8:30に、ハローワークに到着しました。

おかげで3人目に受付をして、「求人申込み書」も完成していたので、速攻で担当官の面接になりました。

 

書類の確認をしてもらったところ、会社が離職票の「退職理由」に間違えが発覚!

異議申し立てのような用紙に記入して、ハローワークから会社に問い合わせて貰うことになりました。

「退職理由」には『自己都合』と『会社都合』があり、「退職理由」によって失業手当の期間や給付制限期間などが変わるので、とても大事なものです。

 

定年退職は『自己都合』に入りますが、待機期間は無く、すぐに支給されるのです。

 

(5日ほど経ってから、ハローワークから電話を頂き、会社の確認が取れたとのことで退職理由の訂正をしてもらいました)

 

以上が、私の『初めてのハローワーク体験記』です。

次は、失業手当をもらった期間のお話しをしたいと思います。

ご興味ある方は、ぜひ見てくださいね。

また、ハローワーク体験のお話しや、新しい発見があった方は、コメントで教えてください。

 

では、今日はこのへんで。

繊細さんのパラダイスな休暇

こんにちは! メロンです!

ご覧いただき、ありがとうございます。

 

私はいろいろ悩んだ末、2021年の7月末で定年退職しました。

定年で退職するにあたっても、心配ごとはありました。

求人を出しても入社が決まらず、同僚に迷惑をかけることや、人手不足で有給を取りづらいことなど、針のムシロのような辛い日々もありました。

それでも上司や同僚のおかげで、有給を24日頂いて退職することができました。

 

退職日には、幸せなことにみんなに別れを惜しんでもらい、花束とプレゼントを抱えて職場を後にしました。

 

夕食は旦那様と近くの小料理屋へ行き、ふたりで乾杯をして慎ましい食事をしました。

 

有給の間は、なんだか気が抜けて、とにかくダラダラまったり過ごしました。

車の免許更新に行き、車検をし、2回のワクチン接種をしました。

60歳だというのに熱が出て、倦怠感がひどく寝込んでしまい、つくづく退職してて良かったと実感したものです。

 

8ヵ月の休暇中の私は、ほぼ一日中家にいて、化粧もせず、大好きな洗濯をし、料理にちょっとだけ手間をかける。

空いた時間は、好きな本を読んだり、好きなDVDを観たり・・・

そして、たまに旦那様と食事に行く。

 

ああ~!!繊細さんの私にとって、なんてパラダイスなんでしょう!

 

世の中は、「コロナ禍で巣ごもり状態になってつらい」という人が多いんですが、私は巣ごもり万歳です。

 

★まずは長編マンガを読みました。

HUNTER×HUNTER:36巻】ずいぶん前にアニメで見たけど、マンガで読みたくて・・・・・息子に借りて読みました。

寄生獣:10巻】アニメで見始めたけど途中で止めて、TSUTAYAまでマンガを借りに走りました。

【死役所:18巻】ドラマを見てTSUTAYAで借りて読み、ついに買っちゃいました!

 

NETFLIXやDVDも見ました~~!

犬夜叉:190話】超なつかしい!

結界師:52話】

金田一少年の事件簿:151話】これは旦那様に付き合って・・・

BEASTARS:24話】息子のおすすめで・・・

【メンタリスト:全シリーズ】これは3回目

【クローザー:全シリーズ】これは私のお気に入り! もう5回目ぐらいかも・・・

その他、40作品以上の映画やドラマを見ました。

 

★もちろんYouTubeにもハマりました。

私は本が好きですが、物語になっていないと読めないので、本の要約チャンネルや、苦手な歴史を教えてくれるチャンネルが好きです。

中田敦彦YouTube大学】以前から見てますが、繊細さんの事を教えてもらったり、苦手な文学小説を読むきっかけをくれたりと、とても感謝してます。

【学識サロン】【歴史サロン】サクサクと教えてくれます。

【もちまる日記】これは私の癒しチャンネルです。

脱北者が語る北朝鮮】衝撃でした!

山田五郎のオトナの教養講座】最近は旦那様と二人でハマってます。

 

★断捨離とリビングの模様替えもしました。

狭いリビングの整理整頓をして、小さなダイニングセットを処分し、最後のボーナスでIKEAのソファやカーテン、テーブル、ラグ、チェストなどを買い替えました。

 

写真は、IKEAのソファ《ソーデルハムン:白》です。

店舗で気に入って、入荷まで2ヵ月待ちました。 お気に入りですww

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ずっとやりたかった事を実現できて、本当に幸せな日々でした。

 

3月に再就職しパートで仕事をしていますが、あのまったり過ごした日々が、今も懐かしいです。

 

私と同じような体験をした人、コメントで感想を教えてくださいね。

 

では、今日はこのへんで。

 

助産院で出産! 「神の手を持つ先生」に取り上げてもらったこと・・・その5

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《先日、旦那様と「ロートレック展」へ行きました》
《美術館の中にある、カフェでランチタイム・・♡》

 


こんにちは! メロンです!

ご覧いただき、ありがとうございます。

初めての方は・・・「その1」~「その4」も見て頂ければ幸いです。

 

無事に出産を終え、ようやく赤ちゃんをこの手に抱くことができました。

 

先生が悪露の始末をしてくれている時に、一番心配だったことを聞いてみました。

私は、前のお産が難産だった為、出産後に「膣血種」になり、救急搬送されました。

これは再発することが多く、私はこの事を一番心配していたのです。

 

・・・先生、膣血種の可能性はどうでしょう・・・

すると、先生は、

『ゆっくり出したから、たぶん大丈夫でしょう』

・・・そ、そんな事が出来るんですか?!!・・・

 

まさに!これも神の手!!

 

私がいきんでる時に、さっさと産んで行った妊婦さんを、羨ましく思いましたが、

先生は、私が膣血種を発症しないように、お産をコントロールしてくれていたのです。

 

私は感謝の想いで、胸が熱くまりました。

 

その後、無事にお産が終わった喜びと、安心で、深い眠りにつきました。

 

目が覚めたら、先生が

『これなら、寝たまま食べれるでしょう』と、軽食を運んできてくれました。

 

<焼きたてのヨモギパンと手作りジャムとミルク>の美味しかったこと!!

 

助産院は病院ではないので、看護師さんはいません。

もちろん、調理師さんや掃除の人もいません。

初期の悪露の交換や、食事の用意など、全て先生がしてくれるのです。

 

私は何より、それが一番驚きました。

 

しばらくの安静の後、私は5人部屋のベッドに移りました。

さすがに大潮の頃とあって、部屋は満杯でした。

 

私を追い越して出産した方も、もちろんいらっしゃいました。

お隣のベッドです。

 

病院では、赤ちゃんは、カプセルのような新生児用のベッドで寝かせますが、

助産院では、産まれた時から、セミダブルベッドで、お母さんと一緒に寝ます。

 

この部屋で過ごした6日間は、とても楽しく有意義な日々でした。

 

私以外の4人の方は、この助産院でしか、お産の経験がありませんでした。

(初産が2名、2人目が1名、3人目が1名)

 

出産経験のある方はご存じでしょうが、病院では出産時に「会陰切開」や「会陰裂傷」を経験することが多いと思います。

もちろん私も、一人目で経験しました。

 

「会陰切開」などをすると、出産後に痛みが続いたり、入浴できなかったりと、辛い思いをしなければなりません。

 

しかし、この先生に取り上げてもらった人は、誰一人「会陰裂傷」になった人はいないそうです。  (病院ではないので、「会陰切開」はできません)

 

やはり、「神の手を持つ先生」・・・だったのです。 凄いです。

 

なので・・・お産が終わって2~3日すると、シャワーの許可がでましたし、

退院した日から湯船に入れると事で、赤ちゃんと一緒にお風呂に入りました。

 

何気ない事のようですが、出産後のストレスは格段に減ったような気がしました。

 

先生にはその後も、子供を連れて度々会いに行き、愚痴を聞いてもらったり、子育ての相談をしたりしました。

 

考え方は人それぞれですが、私は助産院での出産を選んで、本当に良かったと思っています。

 

まだまだ、へ~~~!! な話もたくさんありますが・・・

私の助産院での出産物語は、これでひとまず終了したいと思います。

 

では、今日はこのへんで・・・