田舎で子育てをするということ・・・その1
こんにちは!メロンです!!
ご覧いただき、ありがとうございます!
私は20年以上前に、熊本市内から、今の町に引っ越して来ました。
熊本も立派な田舎ですが、ここよりは随分と便利のいいところでした。
上の息子がちょうど1歳になるころ、旦那様の転勤でこの町に来たので、2人の息子はここが故郷ということになります。
結論から言うと、2人の子どもがこの町で大人になって、良かったと思っています。
もちろん、一長一短はありますが・・・
現在はほんのちょっと便利なところに住んでいますが、子育てしたところは筋金入りの田舎で、小学校は全校生徒100人足らずで、小学校の敷地内に小さな町立幼稚園が建っていました。
つまり子供たちは、幼稚園から中学校まで、クラス替えも無く、エスカレーター式に育っていくわけです。
私は・・・というと、昭和36年に熊本市の九品寺で産まれ、何度か引っ越しをしましたが、託麻原小学校と帯山中学校の校区で育ちました。
あの頃は、高度成長期とベビーブームの真っただ中で、健軍を中心に東方面に宅地が広がり、人口も急激に増えていました。
そのため、学校の生徒数はどんどん増えて、小学校も中学校も教室が足りず、1クラス55人なんていうのもザラでした。
また、プレハブの校舎が3つも4つも建っていたものです。
私が通った託麻原小学校は、全校生徒1500人あまり、帯山中学校に至っては、1学年17クラスで全校生徒は2100人を超え、全国で第2位というマンモス校でした。
生徒数が増えるので、毎年クラス替えがありますが、17クラスあると知っている人はクラスに2~3人・・・という、毎年転校しているような状態でした。
また、休み時間になると廊下は大混雑で、端のクラスの友達に会うため、満員電車のような中を頑張って行っても、時間内に行きつけないこともしばしばでした。
そんな小学校や中学校で過ごした私にとって、この田舎の学校は強烈なカルチャーショックでした。
小学校の校長先生は、全校生徒だけでなく全保護者の顔と名前を知っていて、夏祭りなどで見かけると、「あぁ!○○君のお母さん!こんばんは!」などと挨拶してくれます。
もちろん、子どもが一緒にいない時もです。
そして「○○君、この前~~~で頑張ってましたね!すごいですね!」などと子どもの様子を話してくれたりしました。
もう、私はびっくりして目がテンになりましたが、このあたりでは常識のようでした。
私は小学校の頃、校長先生の顔も名前も知りませんでしたけどね・・・ww
それから、私の頃は1クラスが42人~55人もいたのですが、ここの小学校は1クラスが15人~20人ぐらいです。
もちろん1クラスしかありません。
つまり担任の先生が見るのは15人~20人、それに補助の先生が付いたりしますので、そりゃあ目も手も届きますよね。
加えて、しょっちゅう校長先生や教頭先生、主任の先生やらがクラスの中を見て回っていますし・・・とにかく手厚いんでしす。
それを見ていると、親としては、とても安心できましたね~。
今日はざっくりとした話になりましたが、次は行事などのエピソードも交えて、お話ししたいと思います。
子供の頃の思い出や、子育て真っ最中の方!コメント待ってます!
では、今日はこのへんで。