助産院で出産! 「神の手を持つ先生」に取り上げてもらったこと・・・その4
こんにちは! メロンです!
ご覧いただき、ありがとうございます。
初めての方は、・・・「その1」~「その3」を見て頂ければ幸いです。
出産予定日から5日過ぎて、大潮の日が来ました。
助産院の先生の言葉どおり、大潮の次の朝、お産が始まりました。
まだ暗い朝の4時頃、トイレに起きた時に、破水しました。
上の子も破水で始まったので、今回も即入院になるだろうと思い、慌てて助産院に電話しました。
すると先生は、
『立っていると、どんどんお水が出てしまうので、慌てないで座っていなさい』
『しばらくして赤ちゃんが下がってきたら、赤ちゃんの頭で子宮口に蓋をするので、お水があまり出なくなります』
『30分ぐらいしたら立ってみて、お水が出なくなったら、また電話しなさい』
羊水が無くなるのは良くない事なので、すごく納得できる説明でした。
私は落ち着いて座り、隣でグーグー寝ている旦那様を起こしました。
30分ぐらいしてから何度か立ってみて、なるほどお水が止まってきたので、先生に電話しました。
まだ寝ている上の子を車に乗せて、旦那様の運転で助産院に向かいました。
東の空がわずかに白みだし、爽やかな心地いい、春の夜明けでした。
家を出た時は、陣痛の間隔が5~10分でしたが、車の中でどんどん狭まり、助産院までの15分が永遠のように長く感じられました。
そして、ようやく辿り着いたら、先生が玄関で出迎えてくれました。
分娩室は2階です。
先生に支えられて階段を上る途中、先生が、
『トイレには行った?』
・・・あ そういえば行ってません・・・忘れてました・・・
『それでは、まずトイレに行きましょう』
トイレに入り用を足し、出たとたん、ガクッと下半身の力が抜けて、まったく立てなくなりました。
膀胱が空になり、赤ちゃんがズンと下がってきたのです。
『では分娩室に入りましょうね』と先生
・・・え? もう産んでいいんですか?・・・
『あら、あなた産みに来たんでしょうww』
考えてみれば変な会話ですが、一人目の出産は30時間を陣痛室で過ごし、その後ようやく分娩室に入ったのです。
そんなこともあって、今度のお産も長丁場を覚悟していました。
旦那様も、会社を休む段取りをしているところでした。
『すぐ産まれますよ!』と先生、
『ご主人も、普通に会社に行けますからね』
そうして、先生ともう一人の助産師さんに支えられながら、いざ分娩室へ・・・
もう、それからのことは、真っ白でよく憶えていません。
すべての妊婦さんがそうであるように、ただただひたすらに、頑張りました。
どんなお産であっても、赤ちゃんを産むときは、死ぬほどきつく、辛いものです。
ただ一つ憶えているのは、私がいきんでいる最中に、一人の妊婦さんが入ってきました。 お産です。
隅っこの簡易な分娩台で、なんと!2~3回いきんだだけで「おぎゃ~~」と産まれて、出ていきました。
・・・まじ?嘘だろ~~?・・・
私は思わず「あの人は、もう産んで行ったのに、私の赤ちゃんは何で出てこないの~~!!」と訴えました。
『あの人は、ここで3人目のお産だから、仕方ないのよ』・・と先生
・・・その時は、その意味が解りませんでした・・・
それから、また何度かいきんで!いきんで!いきんで~~~~~!!!
・・・やっと私の赤ちゃんの産声を、聞くことができました!!
長いように思いましたが、分娩室に入ってから、1時間余りのことのでした。
春4月 朝6時45分 晴天 1380gの、元気な男の子でした。
次回は、助産院での出産後のあれやこれや・・・のお話をします。
では、今日はこのへんで・・・
助産院で出産! 「神の手を持つ先生」に取り上げてもらったこと・・・その3
こんにちは! メロンです!
ご覧いただき、ありがとうございます!
初めての方は、・・・「その1」「その2」も見て頂ければ幸いです。
助産院を訪れ、先生のご指導の通りに食事に気を付け、階段の上り下りや散歩、家の拭き掃除などをして、臨月で体重増加も+7㎏に抑えました。
はり治療のおかげで、心身ともに軽くなり、お産に向けての準備は整ったように思いましたが・・・
予定日まであと1週間になった頃
『まだ子宮口が硬いわね~』と先生の声・・・
『それでは、最後の手段をとりましょう。』
・・・え!最後の手段てなに?? まだ何か手段があるの・・・
『はり灸院の先生に電話しておくので、明日行ってね』
・・・おお~! 最後の手段も〝はり〟なのか・・・
と思いつつ、翌日〝はり灸院〟へ行きました。
「助産院の先生から、お電話で聞いてますよ。最後の手段ですねww」
・・・よろしくお願いします。最後の手段とやらを・・・
「それでは、今日は〝お灸〟をしますねww」
・・・!!お・お・お・お灸!!・・・
これには心底!驚きました!
〝お灸〟というものは知っていても、もちろん経験などなく、もう不安でいっぱいでした。
どこにするかというと・・・なんと、足の小指のつま先です。
両足の小指のつま先に、米粒の半分ぐらいの【もぐさ】をのせ、線香で火をつけます。
熱さがほとんど感じないくらいで消し、また新しい【もぐさ】で火をつける・・・
という具合に、5回ぐらいは〝お灸〟をしてもらったでしょうか。
私自身は、熱くもなんともないのに、3回目ぐらいから体がポカポカしてきて、
驚いたことに、ぐ~~っと子宮の収縮が始まりました。
おお!!すごい!!すごい!! まさか!このまま出産??・・・と思うほどでした。
2回ほど〝お灸〟に通い、いよいよ予定日を迎えました。
〝お灸〟をしてもらってから、前駆陣痛はあるものの、まだ出産の気配はありません。
予定日の検診の時、先生は、
『この赤ちゃんは、お母さんのお腹の中が居心地がよくて、まだ出たくないのね』
『お母さんのお産の準備は万全だから、赤ちゃんが出たくなるまで、ゆっくり待ちましょう』
『今度の大潮あたりを期待しましょうか』
・・・大潮、ですか・・・
『地球の摂理で、大潮の時はお産が多いのよ』
そんな先生の言葉を信じて、ゆっくり赤ちゃんを待ちました。
5日目の夕方、上の子の手を引いて、日課である海岸の散歩に行きました。
その日は、いつもより、驚くほど沖の方まで、潮が引いていました。
「ああ‥今日は大潮か~~~」
「赤ちゃん出て来るかな~~~」
そんな話しをしながら、砂浜の広がる海岸に、ゆっくり夕日が沈んでいくのを、子供と手をつないで眺めていたのを、今でも憶えています。
次の日の未明からお産が始まりました。
続きは次回の・・・「その4」でお話したいと思います。
では、今日はこのへんで・・・
助産院で出産!「神の手を持つ先生」に取り上げてもらったこと・・・その2
こんにちは! メロンです!
ご覧いただき、ありがとうございます。
初めての方は、「その1」も見て頂ければ幸いです。
助産院でお産すると決めて、なんとか安定期に入りました。
「つわり」も治まり、2人目ということもあって気持ちに余裕はあるものの、
高齢出産ということで、身体がとても怠かったり、子供の障害の可能性や、今度は無事に出産できるかなど、不安は尽きませんでした。
7ヵ月頃だったでしょうか、検診のエコー検査で「逆子」であることが分かりました。
先生が『あら、この赤ちゃん「逆子」みたいね。 もう少し様子を見てもいいけど、今ちょっと治しましょうかね』と言って・・・
仰向けに寝ている私のお腹を、優しく円を描くように、ほんの2~3分さすったり押したりしてくれました。
『はい、治りましたよ。エコーで見てみますか?』と言われ、見てみたら・・・
あら不思議!! ちゃんと治ってる~~!! すごい!! これぞ神の手?!
本当に本当に、びっくりしました!(しかしこれは始まりでした)
治してもらっても、何度も逆子になる子もいるそうですが、うちの子はそのまま素直に成長してくれました。
そして9ヵ月目には入ったころ、『そろそろ、お産の準備をしていきましょうね。』と言われました。
・・・??お産の準備って何??・・・と思っていると、
『あなたは赤ちゃんが下がりにくい体質みたいだから、しばらく〝はり灸〟に通いましょう』と言って、〝はり灸院〟を紹介していただきました。
「お産に〝はりや灸〟は効果あるんですか?」と聞くと、
『あるわよ~。この〝はり灸院〟の奥さんは、すごく難産の体質だけど、ご主人に2ヵ月前から治療してもらって、いつもすごく安産なのよ。』(もう3人産んでる)
『うちの妊婦さんも、何人もお願いしてるから、安心して通ってね』とのことでした。
一人目を病院で産んでる私には、なんだか狐につままれてるような事ばかりでした。
半信半疑のまま〝はり灸院〟に、週1回で1ヵ月通いました。
治療は、全身に〝はり〟を打ってもらうものです。
劇的な変化は感じられませんでしたが、身体が軽くなり、精神的にも楽になった気がしました。
そういえば、頑固な便秘が治って、便秘薬がいらなくなりました。
東洋医学的に、身体も心も整えてくれたのでしょう。
臨月に入ると、膣内の触診があります。
といっても、先生がほんの1~2秒ほど。子宮口の具合を指で確認するだけです。
『まだ、子宮口が硬いわね~』
予定日まであと1週間になりました。
『それでは、最後の手段をとりましょう。』
・・・え?最後の手段て何?? まだ何か手段があるの??・・・
さあ!いよいよ出産へGO!!
続きは次回の・・・「その3」でお話したいと思います。
では、今日はこのへんで・・・
助産院で出産! 「神の手を持つ先生」に取り上げてもらったこと・・・その1
こんにちは!メロンです!
ご覧いただき、ありがとうございます。
うちには二人の息子がいますます。
早いもので24歳と20歳になりました。
上の息子が10ヵ月の時、旦那様の転勤で自然豊かなこの町へ来ました。
そして3年後、上の子が4歳になる時に、二人目を妊娠しました。
今日は、その次男の「お産」の話をしたいと思います。
もう引退されましたが、この町には日本でも有名な「神の手を持つ」助産師さんがいらっしゃいました。
友人から「なんか凄いらしいから、話のタネに行ってみたら?」みたいな感じで教えてもらい、なんだか気軽な気持ちで行ってみました。
助産院は町の駅の近くにあり、診療室、分娩室、5~6人の大部屋と個室が2部屋ありました。
助産院が先生のご自宅で、通いの助産師さんが2人いらっしゃいました。
私は初めてのお産がとても難産で、33時間に及ぶ陣痛の末、出産に伴い「膣血種」ができてしまい、大学病院に救急搬送されたという経験がありました。
気軽に訪れた私でしたが、初診の時に先生は、私が過去に「膣血種」の経験があること、39歳という高齢出産であることで、とても悩まれました。
今考えてみると当然のことで、助産院は医療行為ができないため、私のようなリスクの高いお産は、通常は断られます。
本当に私は能天気だったと呆れますね・・・
それでも先生は、2つの約束をして「ここで頑張って産みましょう」と言ってくださいました。
①もしもの時を考えて、産婦人科の病院に事情を話して受診をすること。
②先生が留守の時は、病院で出産すること。
(先生は全国に講演に行かれるので、留守の時は通常は他の助産師さんが介助します)
そして、助産院でのお産がスタートしました。
もちろん、近くの産婦人科の病院にも受診しました。
助産院へは問題がない限り、初めは月1回、その後月2回~週1回へと、病院とほぼ同じペースで受診します。
しかし診療内容はまったく違います。
助産院はエコー検査はありますが、内診はありません。
人それぞれですが、私にはこれもストレスがなくて、ありがたかったですね。
ひたすら心のケアに、重点が置かれているように思いました。
自分の母親との関係が、お産に大きく影響するらしく、わだかまり等があれば、お産までにいい状態にしておくように言われました。
また、連れて来た上の子どもの様子を見て、アドバイスをしてくれたり、
旦那様といっしょに行った時は、旦那様への心のケアや、妊婦の気持ちを代弁してくれたりもしました。
もちろん、食事や運動のことも厳しく指導されました。
妊婦さんの中には、受診するたびに辛くて泣いて帰る人もいたようですが、私にとっては気持ちが楽になり、先生に会うのが楽しみでもありました。
そして心配な妊娠初期を過ぎ、安定期に入りました。
気がつけば、思いのほか長くなってしまいました。
この続きは次回の・・・「その2」でお話したいと思います。
では、今日はこのへんで・・・
引っ越して 田舎暮らしへ・・・
こんにちは!メロンです!
ご覧いただき、ありがとうございます。
私は22年程前、旦那様の転勤で、熊本市から今の町に引っ越してきました。
ここは小さな町けど、海が近くて風光明媚な素敵なところです。
旦那様の転勤が決まり、社宅がないので公団住宅を紹介してもらって、申し込みを済ませました。
引っ越しの3週間に下見に行き、築30年の広大な団地群を目の当たりにして「あ~また団地生活か~それも5階!!」とちょっと落胆しました。
申し込みの時から覚悟はしていましたが、実際にその場に立つと、不安や戸惑いなどの感情が溢れてきて、ますます暗い気持ちになりました。
何故かというと、熊本でも結婚当初からの団地暮らしで、5階に住んでいました。
もちろんエレベーターなんてありません。
実は、結婚直前に妊娠が発覚! 妊娠初期での引っ越しになりました。
階段の上り下りで無理をしたのか、結婚式の当日に出血をしてしまい、そのまま2ヵ月間の入院をという辛い経験をしました。
原因は階段だけではないのでしょうが、思い込みというのはなかなか厄介です。
生後10ヵ月の子どもを抱え、もし二人目を妊娠したら・・・と、ますます不安はつのりました。
暗い気持ちで町の中を車で走らせていた時、不動産屋の前で「3ⅮK戸建 5万円」の広告が目に留まり、思わず店に飛び込みました。
「見るだけ見ませんか?」と言われ、すぐに店の人にし案内ていただきました。
その家は、町よりの車で15分ほど海側へ行ったところにありました。
築30年ぐらいでしょうか、和風の2階建てで、1階に床の間付の8畳、茶の間の6畳、ダイニングキッチン、お風呂とトイレ、2階は見晴らしのいいベランダ付きの6畳の洋間が1部屋ありました。
8畳と茶の間の縁側からは、広い庭の向こうに田園が広がり、遠くには海も見えました。
田園の中を、人を乗せた馬が5~6頭ゆっくり歩く姿を見て、びっくりしたのを覚えています。
店の人に尋ねると、近くに乗馬クラブがあり、この辺りでは海岸の砂浜や、田んぼの畦道でよく見かけるとのことでした。
私たちはこの風景がすっかり気に入ってしまい、その場で即決し、20日後の7月末に
引っ越してきました。
団地生活から広々とした田舎暮らしになり、庭から馬を眺めたり、近くの海に遊びに行ったり、親子3人心穏やかに暮らすことができました。
田舎暮らしも一長一短ですが、私たちは性に合ったのか、その後さらに海の近くに引っ越し、とうとう2005年には近くの田んぼの中に家を建てました。
現在はまた別のところに住んでいますが、その辺のことは田舎の一長一短も含めて、また機会に・・・
田舎に住んでいる人、田舎暮らしを考えている人、感想や質問をコメントくださいね。
では、今日はこのへんで。
60歳 定年退職か再雇用か・・・繊細さんの決断
こんにちは!メロンです!
ご覧いただき、ありがとうございます。
私は2021年7月に、7年6ヵ月勤務した会社を、定年退職しました。
60歳になるにあたり、再雇用で働くか定年退職するか、定年前の数か月間、悩みに悩みました。
会社によって違うとは思いますが・・・
再雇用で働くと、慣れた仕事で慣れた環境で働くので、手間がかからず、精神的にも楽だというメリットがあります。
しかし一方で、同じ仕事をしていても、明らかにお給料は格段に減ります。
給料が安くなったからと言って、責任や仕事量は同じです。
そんな環境で、以前と同じモチベーションを保てるか、というデメリットもあります。
だからといって、辞めて仕事を探すとして、このコロナ禍で60歳を過ぎて、果たしていい仕事を見つけることができるのか・・・苦労するのは目に見えてます。
繊細さんにとって、ようやく馴染んだ環境を手放すのは辛いことです。
実は、この会社の同僚は同じ繊細さんなので、気持ちが解り合えて、精神的にとても楽だったんですね。
たぶんどちらの道を選んでも、何らかの後悔をするだろうと思っていました。
再雇用で残っても、給料の事や仕事量などで、頭ではわかっていても、なんだか気持ちは〈もやもや〉して「あの時スパッと辞めていたら・・・」と思うことでしょう。
辞めて、厳しい就職活動で行き詰った時には、「なんで軽々しく退職したんだろう」と後悔するでしょう。
こんな風に色んなことを考え悩んだ末に、私はやはり退職とをすることを選びました。
その理由は、次の通りです。
★定年で退職を決めた理由★
私は、大きなパチンコ店の事務の仕事をしていました。
①規模が大きい店舗で、入出金の金額が大きく、「もしミスをしたら・・・」と思うと
年々不安になってきた。(弁済の可能性がある)
②店舗の鍵は事務員が持っていて、体調不良でも、嵐や大雪でも、朝一番で出勤します
が、これもだんだん自信がなくなってきた。
③再雇用後の給料が、「再雇用が決まってから、人事で決定する」という方針に、納得
がいかなかった。
常識的におかしなシステムだけど、会社と争う気にはなれなかった。
④宅建士の資格を持っていて、活かしたいなら、少しでも若い方が可能性がある。
⑤失業保険を貰うなら、いま退職した方が金額が多い。
⑥何より、究極の円満退社である。
⑦占いで「2022年1月に、いい出会いがある」と言われていたから、就活はその時期に
頑張りたい。(この占いの話は、またの機会に・・・)
これらの理由で、就職活動は苦労するだろうと覚悟して、退職しました。
半年たった今、後悔は・・・ありません。
やはりこの1月に、次の仕事の目途がつき、とりあえずほっとしています。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
この次からは、平凡な私の人生の端々やら、日々考えている事を、つれづれに綴っていきたいと思います。
これからも、よろしくお願いいたします。
定年退職の経験がある人や、定年を控えている人、コメント待ってます。
では、今日はこのへんで。
ご挨拶
はじめまして!メロンです!
ご覧いただき、ありがとうございます。
私は60歳の女性で、ただいま6歳年下の旦那様と、二十歳になる大学生の息子と暮らしています。
2021年7月に定年退職し、失業保険をもらいながら半年が過ぎました。
コロナのおかげで、120日の給付期間が180日に伸びましたが、それも残りわずかとなり、3月からは、また新しい仕事にチャレンジです。
私はいわゆる『繊細さん』なので、今の一人の時間を手放すのは辛いのですが、今のところリモートワークの経験もないので、パートで仕事に行くことになりそうです。
60歳になり、環境も考え方も一度リセットして、歩き始めようと思います。
私は毎日のことを事細かく手帳に書いていて、辛いことや感情が爆発して心の持っていき場所がないきなどは、手帳に思いのたけを綴ってストレス解消をしていました。
そこで、私の人生や考えている事を、書いてみようと思いました。
たとえ誰にも読んでもらえなくてもいいので、自分の心を整理するために、ブログを始めてみることにしました。
そんな私ですが、ほんの少しでも共感しもらえたら、とてもうれしいです。
よろしくお願いいたします。
お時間があったらコメントください。 お待ちしてます。